大河ドラマ「西郷どん」にも登場! 西郷隆盛や大久保利通を見出した島津斉彬の「才」とは?
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第30回 ~島津斉彬~
○行動力30%(偏官)
頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強い星。殊に「偏官(へんかん)」は、行動的攻撃的な星である。
西郷や大久保を登用するあたり、優しい人という印象が強いが、藩主になるために様々な策を講じている。詳しいことは次に触れるが、相当強い攻撃性を備えていたのかもしれない。
○自立心20%(劫財)
自分の信じた道を突き進み、リーダーシップを持っている星。中でも「劫財(ごうざい)」は、欲しいものはどんな手を使っても手に入れようとする策士。組織を上手にまとめることができて、会社の社長に向いているタイプ。
斉彬は、曽祖父・重豪に倣って西洋への興味を強めたが、重豪は蘭癖が過ぎて藩の財政に支障をきたしており、斉興も隠居を渋っていた。斉興に家督を譲らないよう、影で操っていたのが、家臣・調所広郷(ずしょひろさと)を中心とする反斉彬派だ。
40歳を過ぎても未だ家督が得られないことに焦りを感じた斉彬は調所追放を図る。斉彬は老中・阿部正弘に琉球王国との密貿易を訴え出た。密貿易は薩摩藩内で代々行われていた公然の事実で、事の次第によってはお家潰しとなりかねない。しかし、敢えてそれを利用したのである。調所は阿部から直接事情聴取を受けた直後に、江戸の薩摩藩邸にて亡くなっている。斉興を守るために服毒死したとも伝わる。
その後も久光の母・由羅も絡んで色々あり…斉彬派約50名は謀反の疑いで切腹、蟄居等の処分が下り、味方を失った斉彬は絶体絶命の大ピンチを迎える。しかし、最終的には脱藩した斉彬派の家臣が福岡藩や八戸南部藩の助けを借りて、阿部に事態の収拾を申し出、将軍・家慶の命令と言う形で、斉興は隠居。42歳にしてついに斉彬が家督を譲り受けた。人脈もあいまってのことだろうが、幾多の困難を潜り抜け、藩主を勝ち取るあたり、まさに策士だったのだろう。
○遊び心10%(傷官)
生活に上手に遊びを取り入れることができる遊び心を10%持っているが、傷官(しょうかん)はその中でも、芸術性が高く傷つきやすい星。高い交渉能力を持った頭のいい星でもある。
斉彬は当時世間でさかんに行われた能や謡の類はあまり好まなかったという。しかし、絵画は狩野派を学び、和歌・点茶・囲碁・将棋・魚釣りをたしなみ、夏の朝顔つくりは特技だったと伝わり、芸術面でも才能を発揮していたのだろうか。
○意外にも知性0%
通変星、蔵干通変星を見ると、意外にも知性を持っていない。斉彬は5歳のころから読書・習字を学び始め、11・12歳ごろには四書五経の素読も終え、17・18歳頃には二十一史もなかば通読したという。知性は努力の賜物だったのだろうか。